MAGAZINEプチさんマガ

独学でバドミントンラケット修理を学びラケット修理職人に
海外からも依頼が来るラケット修理工房

2022.11.19

高校生からバドミントンを始め、実業団選手としての経験もある田坂厚司さんは、現在新居浜市でバドミントンのコーチをしながらバドミントンラケットの修理を生業にしています。今回取材を務める私もバドミントン経験があり、田坂さんにラケットを修理してもらったことが何度かありました。

『ラケット修理工房TASAKA』の代表である田坂厚司さんのパーソナルな部分を取材させていただきました。

【基礎知識】バドミントンのラケットとは?
バドミントンのラケットはガットといわれる系を網状に張り上げることでプレーできるようになります。ガットは高いテンションで張り上げることになるため、ラケットに負荷がかかります。上級者ほどガットのテンションが高いため、ラケットがその強度に耐えられなくなり折れてしまうこともあります。
また、プレー中にぶつけてしまい折れることもある消耗品です。
折れてしまったラケットではガットを張ることができないため使うことができなくなるとされていました。

ー今回は取材に応じてくださりありがとうございます!
田坂さんがされているラケット修理や、田坂さんのパーソナルな部分についてインタビューできればと思っています。

よろしくお願いします。

ラケット修理に目覚めた1つの疑問

ーまず最初にラケット修理を始めることになったきっかけを教えてください。

高校生の頃に初めて買ってもらったバドミントンのラケットがきっかけでした。当時、ラケットを買ってもらえたことが嬉しくて、家の車庫で素振りをしていたんです。その時に車庫にラケットをぶつけてしまい、折れてしまったのです!
ラケットを買ってもらった当日のことだったのですごく悲しくて、罪悪感から親に伝えることもできませんでした。なのでバレないように昔の古いラケットを使っていました(笑)。
折れた時に、「折れてしまったラケットを修理することはできないか?」「そもそもどうして折れたら使えないんだろう?」と思ったのがラケット修理に目覚める最初のきっかけでした。

ーそもそもラケットを修理する技術は存在しなかったのでしょうか?

あったのかもしれませんが、自分が知る限りは存在しなかったと思います。消耗品でも修理できるものはたくさんあります。
車はぶつけても修理して走ることがほとんどです。
なのに、「どうしてバドミントンのラケットは一度壊れると使えなくなるのだろう?」と感じていました。

車以外にも釣竿や自転車が壊れた場合、カーボンを使って修復できることは知っていました。それに似た技術をバドミントンにも応用できるんじゃないかと考えたのです。もちろんすぐに取り掛かれるわけではないので、いつかバドミントンのラケットを修理してやろうという思いを秘めていました。

ーではラケット修理は完全に独学で始めたということですね。

そうですね。ラケットやカーボンの仕組みを独学で勉強しながら始めることになりました。ですがそう上手くもいかず、とても苦労しました。まず修理したくても、修理に使いたいカーボンを仕入れる業者が取り合ってくれません。
カーボンが手に入っても失敗続きで、トライ&エラーを何度も何度も繰り返すことで、ようやく修理できました。ラケットの種類によって作業工程が変わるため、難航することもありましたが、今ではメーカーから公表されていないラケットの構造まで、独学で理解できるレベルになりました。

ーとても気の遠くなる作業だと感じてしまいます。初めて上手く修理できた時の気持ちを教えてください。

とても嬉しく、感動しました。ラケットにカーボンがしっかりくっついていて修復できている!と感動しました。
1度出来たからといって修復作業がトントン拍子で進むわけではありませんでしたが、やってきたことが間違いではなかったことが確認できて自信に繋がりました。初めてラケット修理に成功したラケットは今も実家に置いてあります。

口コミから広がった『ラケット修理工房TASAKA』

ー田坂さんが行われているラケット修理は、どのようにして広まったのでしょうか?

知り合いがFacebookにアップしてくれたのがきっかけでした。5本くらい折れたラケットがあるという知り合いのラケットを借りて修理したところ、とても感動してくれて、「田坂さんにラケットを修理してもらいました!」と写真付きでアップしてくれました。それがきっかけで依頼が増えるようになりました。

ーFacebookが口コミになったんですね!実際にバドミントン界隈では『ラケット修理工房TASAKA』の認知も増えてきたようで、とても繁盛しているように思えます。

そうですね、ですが今では依頼の件数は全盛期の1/2〜1/3程度になっています。というのも試行錯誤する上でラケット修理の強度が上がったので、リピートしてもらえる人が減ってしまったためです(笑)。ですが、本当に依頼が多い時は寝る時間を削って作業していたこともあるので、今くらいの依頼件数が自分にあっているかもしれませんね。

インドネシアでの単身バドミントン修行

ー『ラケット修理工房TASAKA』を始めるにあたって恐怖心はなかったのでしょうか?

恐怖心はありましたが、自信もありました。
トライしようと思った時に支えになったのは、バドミントンをするために単身でインドネシアに訪れた経験でした。初めての土地で知らない人ばかり、言葉も通じない環境でバドミントンをするのは本当に苦しかったです。「しんどい」「苦しい」という弱音を吐けない環境は想像以上に辛いものでした。ですが、インドネシアでの修行を終えて関西国際空港の地上に一歩降り立った時、「俺、成長した。」と明確に感じられました。
あの時の経験があるからこそ、『ラケット修理工房TASAKA』を始める時も自信を持つことができました。

ーそれはとても貴重な経験ですね!そもそもインドネシアに行こうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

今は日本のバドミントンも強くなりましたが、その頃はバドミントンといえばインドネシアというイメージが強かったので、「今のインドネシアのバドミントンを見て、体感したい」という衝動からでした。
『ラケット修理工房TASAKA』を始める前はラケットショップに勤めていましたが、当時は福岡でサラリーマンをしていました。
長期間滞在することになるので会社を辞めてインドネシアに向かうことになりますが、上司に「インドネシアのバドミントンを体感したいので、会社を辞めます!」と伝えても、もちろん誰も理解してくれません(笑)。ですが、横のデスクにいた上司だけは「それは今すぐ行ってこないといけないね。」と言ってくれたんです。

唯一、理解してくれた上司が、ロサンゼルスオリンピックの重量挙げ銅メダリストの真鍋和人さんでした。

新居浜への恩返し

ーそもそも『ラケット修理工房TASAKA』を新居浜の土地で始めたことにきっかけはあったのでしょうか?

地元が新居浜だったからという理由が大きいですね。
福岡でサラリーマンを辞めてからは松山市に住んでいた期間もあり、何ならバドミントンから離れていた期間もありました。
新居浜に帰ってきてからラケットショップで働かせてもらえることになり、そのまま新居浜で『ラケット修理工房TASAKA』を始めたという流れです。県外の方からの依頼も多いため、もし北海道や沖縄に住んでいたとしたら場所を考える必要があったかもしれませんが、愛媛だと配達の不便も無いですしそのまま新居浜市で始めることになりました。

ー今バドミントンとすごく密接に関わっている田坂さんが、バドミントンをしていなかった期間があったのには驚きでした。

実業団を辞めてからバドミントンをやっていない期間がありました。
たまたま知り合いが大会に誘ってくれたから出てみたんですが、これまでの経験値があったので大会で優勝できたんです。
実業団だと勝って当たり前、勝てなければ何で勝てないのか詰められるような環境だったので、久々の大会で優勝できたことは新鮮でした。
その後、自分がバドミントンを始めた頃にお世話になっていた新居浜市のチームで再び練習させてもらうようになりました。

ー現在も同じチームで指導されていますが、指導を始めるようになった経緯を教えてください。

社会人で練習していたところに、強くなりたい子供たちが「一緒に練習させてください!」と集まってきたんです。
指導の経験はありませんでしたが、そう言ってもらえるのはありがたいので、新居浜市や自分を教えてくれたチームへの恩返しの意味も込めて、週に1回、子供たちのコーチをする日を作りました。
次第にバドミントンをやりたい社会人も集まってくるようになり、多い時だと大人から子供まで30人くらいを指導していたこともありました。
みんなにバドミントンを楽しくやってもらいたい、できるならそこから強くなってもらいたい、という気持ちがあったので指導を続けていました。

ただ、人数が多くなると目を配ることが難しいので、指導の質が高かったとはいえず、楽しくバドミントンができる環境ではあるものの、選手が育てられる環境ではありませんでした。
次第に選手を育てたいという思いが強くなり、2015年頃から小学生をメインで教えるようにシフトしていきました。それから自分の目の届く範囲で指導するようになったので、指導の質も上がったかと思います。かつて自分を教えてくれたチームでの指導が、チームや新居浜市でお世話になった人たちへの恩返しになっていれば嬉しいですね。

お金には代えられないラケットへの愛

ー田坂さんの今後についてもお聞かせいただきたいです。

これからも依頼がある限りは『ラケット修理工房TASAKA』を続けていきたいと思っています。始めた頃は2年くらいで店を畳むことになるかと思っていたのですが、おかげさまで今年で8年目です。
時々、送られてくるラケットに手紙が添えられていることがあります。
「このラケットはおじいちゃんの形見で、使わないけど家に飾っておきたいんです。」のような手紙をもらった時はこの仕事をやっていて良かったと思いますし、修理にも熱が入ります。

また、海外から修理の依頼が来ることもありますが、「送料を考えると新品を買った方が安いんじゃないか?」と感じてしまいます(笑)。ですがそのラケットに対して、お金には代えられない思い出や愛着があるんだと思います。そんな思い出のラケットがお客様の相棒に戻れるように、これからもラケット修理に励んでいきたいと思います。

(取材・写真撮影:矢野司 写真提供:ラケット修理工房TASAKA)

取材先:ラケット修理工房TASAKA
〒792-0811
愛媛県新居浜市庄内町6丁目6番地14号
Tel: 090-1000-7068
HP:https://racketkoubou.jimdofree.com/
Twitter:https://racketkoubou.jimdofree.com/