MAGAZINEプチさんマガ

日暮別邸記念館~別子銅山の歴史と関わってきた人々の想いがそこにはありました。

2022.12.13

新居浜市星越山の上に建つ、「日暮別邸記念館」にて取材を行ってきました。
お話を伺うと、建物として美しいだけでなく、別子銅山が歩んできた歴史と切り離せない建築物だということがわかりました。

日暮別邸は、1906年(明治39年)住友家の別邸として四阪島に建築された。

日暮別邸は、もともとは瀬戸内海に浮かぶ四阪島(今治)に住友家の別邸として、1906年(明治39年)に建てられていました。
しかし、老朽化が進んだため、移築復元し、住友の煙害克服の歴史なども合わせて広く伝えていく「日暮別邸記念館」として公開されることとなりました。

お話を聞かせていただいた本多さん。暖炉の石や椅子も再利用したもの。

移築は、解体と保存に向けた綿密な調査、再利用に向けた建築の仕組みを解明しながらの解体工事などが行われ、約30か月かけて行われたそうです。
床材、室内建具、暖炉の石や家具など、再利用された部材は、なんと約1万点。
約95パーセントを再利用し、移築復元されました。

建物の中に入ると印象的な手すり柱の階段が迎えてくれる。
丸みを帯びたデザインが日暮別邸の建築の特徴なのだそう。

なぜ移築したのか? ~日暮別邸にまつわる歴史

1691年(元禄4年)別子銅山が開坑。
明治時代以降になると、急速な近代化により、採掘量は大幅に増加、製錬所は山から浜へ移ることとなりました。
その頃から、精錬所から排出された亜硫酸ガスが、農作物に影響を与える煙害が深刻化。
問題を解決するために、製錬所を新居浜の沖合20kmにある四阪島に移転することを決断しました。
日暮別邸はその時、住友家第15代当主住友友純の命により、四阪島の精錬所が見下ろせる場所に建築されました。

しかし結果的には、煙害は東予地域一帯に広がってしまうこととなります。
関係者たちは、煙害の解決に向け取り組み続け、1939年(昭和14年)に煙害は完全解決となりました。
日暮別邸が建てられてから110年あまり経ち、建物が老朽化してきたことをきっかけに、四阪島にまつわる歴史や、煙害への本質的解決を行った事業精神を受け継いでいくため、移築を行い一般公開することとなったそうです。
星越山の展望台からは、四阪島、別子山、住友の工場群を望むことができました。
展望台から景色を実際に見てみると、だからこの場所に建てたのかと実感することができました。

日暮別邸が建つ星越山の展望台からは四阪島が見える。

貴重な建築物と別子銅山の歴史に触れることができ、感慨深い1日でした。

アクセスについて

「今度、日暮別邸記念館に取材に行くんです。」と知り合いに伝えると、「結構上に上がるのに歩くよ!」と言われ、覚悟をして現地に到着しました。

自然の中をゆったりと歩いて行ける。

しかし、上り始めると、思ったよりも坂道がきつくないし、ところどころベンチも置いてあり、徒歩5分程度で上に上がることができました。
お体の不自由なかたなどで、車の乗り入れを希望される方は、お電話でご相談いただけたら上まで上がる道を教えてくださるとのことでした。
ぜひ「日暮別邸記念館」にお問い合わせください。

(取材・撮影/富永雅美)

〇お問い合わせ〇
日暮別邸記念館
 住所 792-0008 愛媛県新居浜市王子町1番11号
 開館時間 9時から16時30分まで
 休館日 毎週月曜日、国民の祝日(祝日が日曜日の場合は開館)、地方祭(10月17日)、年末年始(12月29日から1月3日まで)
 入館料 無料
 電話 0897-31-5017

※来館にあたっての注意事項
 団体客20名以上で来館される場合は、3日前までに必ず事前連絡をお願いします。予約状況により、日程調整をさせていただく場合があります。