ホーム|東予山の魅力 霊峰としての石鎚山

霊峰としての石鎚山
石鎚登山ロープウェイ「山頂成就駅」から徒歩約20分。標高1450mにある「中宮 成就社」

 今から1300年余り前、石鎚山は大和国(現在の奈良県)生まれの役小角という修験者によって開かれたといわれる。役小角は富士山をはじめ日本各地の霊山を開き、「修験道の開祖」ともいわれる。その後、奈良時代中期になると修験僧(寂仙(じゃくせん)菩薩)が石鎚山に籠もり「石鎚蔵王大権現」と称えて信仰、修行に励み、登拝者を導くようになり、この頃、常住社(現在の成就社)が創立された。弘法大師も青年時代に修行したといわれている。現在、石鎚山には、本社、成就社、頂上社、土小屋遥拝殿の4つの社殿からなる石鎚神社がある。

御神像を背に協力して鎖場を登っていく修験者たち

 登拝とは、信仰心をもって山に登ることをいう。開山以降、石鎚山は山そのものが神様(神体山)として崇拝され、多くの登拝者が訪れるようになった。
 登る前は水に入り不浄を除き、鎖場では邪心を捨て無我となり、最後には心静かな鎮魂の境地に立つ。登ることによって体得できるこの教えは、「修祓、修行、鎮魂」という三つの言葉によって表現されている。あえて自らに苦行を課し、自然と一体化して神様により近づくために頂上を目指す。石鎚信仰は、「行動の宗教」とも呼ばれ、苦行を乗り越えた修験者たちによって、徐々に広まっていった。

JR伊予西条駅から車で約15分。
本殿のほか開山の祖・役小角を祀る祖霊殿、御神水所、
宿泊可能な会館などが建ち並ぶ「口之宮 本社」

 石鎚山は、桓武天皇、文徳天皇をはじめ、源頼朝などの武将や西条藩主、小松藩主から篤い信仰をあつめてきた。
 明治時代の神仏分離や第二次世界大戦による混乱に翻弄されながらも、戦後には現在の石鎚神社の傘下宗派として「宗教法人石鎚本教」が創立された。国内外に教会や遥拝所が置かれ、信者は100万人ともいわれるほどになっている。
 7月1日の「お山開き」には、山岳信仰の聖地としてのスケールの大きさを垣間見ることができる。

「お山開き」の日は次々と伝統を守るお山開き 修験者たちが登拝する
「お山開き」の日は次々と伝統を守るお山開き
修験者たちが登拝する

 毎年7月1日~10日、石鎚神社夏季大祭(「お山開き」)が行われる。祭礼期間中は、全国各地から数万人にのぼる登拝者が訪れる。現在も7月1日だけは、かつてのしきたりである女人禁制が守られている。
 7月1日午前7時、前日に本社から成就社へ運ばれてきた三体の御神像が信者の背に乗せられ、頂上社へ向かって出発。同日10時には頂上社に到着して大祭の幕が切って落とされる。7月10日に御神像が成就社へ戻るまでの間、山には鈴やホラ貝の音が響き渡り、登山道(参道)は「お山じゅばん」と呼ばれる装束を身にまとった信者でひときわ活気づく。

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